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杉木峯夫先生退任演奏会 [音楽]


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今日は、東京藝術大学トランペット科教授杉木峯夫先生の退任コンサートがあった。
会場の奏楽堂は満員、偶然に私の席の前で前半プログラムを聴いておられた先生のご子息のお二人も、その満員の会場を見渡し、思わず「スゲーなー」と漏らしたほど……会場はお客様はもちろん、杉木先生にお世話になった卒業生、プレーヤー、本当に多くの方々の熱気で溢れていた。
杉木先生をはじめとする出演者も素晴らしかった。
先生のお二人の息子さん(どちらもトランペット奏者で新日フィルと台湾のオケで活躍中)はもちろん、N響の関山先生、井川先生をはじめ、東フィル、東響、名古屋フィルの首席奏者や各団員、プロ吹奏楽団、音楽大学や音楽高校で教鞭をとっている方、とにかく日本中の優れたトランペット奏者が全てこの奏楽堂に集まってしまった……そんな豪華な顔ぶれであった。
今日考えられる「国内での最高のトランペットのコンサート」であった。
さらに、どの出演者からも、また会場の演奏家・卒業生を含めた多くの聴衆からも、先生が皆に注いだ愛情同様、本当に温かな空気が会場全体に満ち溢れていた。

杉木先生とは、私が藝大に勤務するようになってからの出会いであった。
小林研一郎先生が学生のオーケストラを率いた山形での演奏会、当時指揮科助手をしていた私がたまたまその演奏会の裏方をお手伝いした。杉木先生も学生と一緒にステージに乗り、旅をご一緒させていただいたのが、先生とのお付き合いの始まりであった。
旅の帰りに私が福島で仕事があり、途中「郡山」で下車をした際、わざわざ降車口まで見送りに来ていただき、何度もドア越しに手をあげて挨拶してくださった…今想うと、この旅で私の人間を観察されておられたのかな……そんな気もする。その後、先生からお電話をいただき「学生オケの為、君の力を貸してくれないか…」とお願いされ、それ以降、先生とは学生オーケストラの仕事を通じて、山形をはじめ、岩手、長野や、大分の別府アルゲリッチ音楽祭もご一緒させていただき、多くの充実した楽しい時を過ごさせていただいた。
そんなある時、ちょうど友人と酒を飲んでいると、携帯に一本の電話があった。
先生と最初にご一緒した山形の地元音楽団体の事務局の方からの電話で、私に「藝大の卒業生を集めてブラスの演奏会を指揮をしてくれないか?」という依頼……突然の事に驚きながら詳しく話を伺うと、杉木先生が「酒井くんに何か活躍の場所を…」と強く推薦してくださり、そしてその演奏会には、先生とオーボエの小畑先生まで誘ってくださり、私の指揮で卒業生と一緒に「リード(作曲家)」を演奏してくださった。
その後も、何か仕事や(常勤の)就職のチャンスがあると必ずお声かけしてくださり、先生には公私に渡り本当にお世話になっている。

通常、楽器の先生の退任コンサートは、67歳(教授は67歳が定年)という年齢もあり、ご本人が楽器を演奏しない……そんなコンサートもある中、先生は最後まで楽器を持ち、最後まで仲間と、最後まで学生達と一緒にステージにお立ちになられていた。
「大学は学生達の為にあるもの、それを私達教職員がサポートするだけ…」とコンサートの最後におっしゃっていたが、いかにも学生を想う杉木先生らしいお言葉で、思わず胸が熱くなり、先生が最後に演奏された「いい日旅立ち」を聴くと、我慢していたものが込み上げ、おもわず涙が溢れた。
大学内もいろいろな事があり、「今日で藝大という大きな看板を下ろすことができる」との先生のお言葉からも本当に多くのご苦労を垣間見た。またある時は、先生のお身体を心配する先生の奥様からもそのご様子も伺っていたので、今日、こうしてお元気にこの日を迎えられた事に、寂しい中にも、私はとても嬉しく、そして安堵している。

先生には、今日まで本当にお世話になった。トランペットの、そして藝大の卒業生でない私が皆に申し訳ないほど……これまで先生から頂いた、多くの思い出と、多くの恩にお応えする為に、これから少しずつ末長く何かの形で恩返しをしていけたら……そう思っている。

先生、これまで本当にありがとうございました。そして、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
これからの先生の更なるご活躍とご健康を心からお祈りしております。

「自転車サンタ 生徒らの歌、胸に」 [雑記]


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先日、福島から新聞記事が届く。
ラジオ福島チーフアナウンサー大和田新さんが、「自転車サンタ 生徒らの歌、胸に」と題して、毎日新聞「とうほく彩発見」に私の福島への徒歩と自転車でのボランティアの旅の事を記事にしてくれた。
掲載については私は全く知らされておらず、さらに実名で掲載されてしまったことについては(毎日新聞は匿名では扱わないらしい)全く不本意であるが、それでも、公私ともにお世話になった福島をはじめとする東北の方々に「私の想い」を記事を通じて伝えていただいたことは、とても有難い。

いつも自分に言い聞かせているが「これで終わり」ではなく「これからが始まり」
大切なのは、今後どう応援していくか…。
底冷えのする埼玉の自宅での夜、
被災地の人々は今年の大雪の中、いかがお過ごしのことであろうか……
心配でたまらない………

吹奏楽スコア [音楽]


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昨日から、吹奏楽のリハーサルを前に、「ホルスト:第1組曲」のスコアをチェックしている。
これまで私は、吹奏楽のスコアには二つ大きな不満があった。

まず、オケのスコアと違い吹奏楽のスコアは「スコアだけの購入ができず」その為我々指揮者は、スコア・パート譜とセットになった譜面を購入するか、吹奏楽団から送られてきたコピー譜で勉強するしかない。
以前、有名楽器店の課長に「なぜ、日本では吹奏楽譜のスコアだけを売らないのか…」尋ねたところ、
「日本の吹奏楽団は、スコアを勝手にコピーしそれを切り張りしてパート譜を作ってしまい、譜面(原譜)が売れなくなり米国もそのことが分かっている為、日本にはスコアだけを卸さない」……そんな答えが返ってきた。これには本当に困ったものである。
二つめの不満は、吹奏楽の楽譜があまりにもいい加減で、譜面のミスが多く、さらに一緒についてくるコンデンススコア(二段もしくは三段のスコアを簡単にした楽譜)との食い違いも多く、オケ譜のように多くの研究者が校正を重ねた、また、直筆譜等を研究し校正を重ね出版することなどほとんどない。さらにひどいものは、スコア(総譜)自体の存在がなく、コンデンスだけついて販売しているというものも少なくない。(昔の譜面に多くみられる)
……こんな状況であるので「演奏する側は勝手に譜面をアレンジして、それを競い合う」…特に近年のコンクールなどではそんな風潮も見られる。
この嘆かわしい事態に、一昨年、作曲家の伊藤康英氏と音楽之友社が、1970年にホルストの遺族(夫人と娘)によりロンドンの大英図書館に寄贈された「第1組曲」の自筆譜を元に研究・校訂した楽譜を、何と『吹奏楽雑誌「バンドジャーナル」(3号に分けて)の付録』として発売した。この校訂版の内容は実に素晴らしく、長年あった私の多くの疑問も解消され、非常に興味深いものになっている。しかも、安価である!!
さらに今年の1月号より、その続編として隔月で3号に分けて「第2組曲」も発売される(※写真は1月号付録)
そんなこともあり、30数年前の高校時代にこの曲と出会い、アマチュア時代もプロになってからもこれまで何度も指揮をしてきた「この名曲」を、頼まれた今日のたった1回のリハーサルの為に、改めて勉強し直している。

どうか、吹奏楽を愛する皆さん、モラルを守りコピー譜ではなく、譜面をきちんと購入して演奏しましょう。
どうか、出版社の皆さん、私達指揮者の為に、スコアだけの販売もしてください。
本当の意味での、日本の吹奏楽発展の為に………

「復興元年」 [雑記]


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1月も昨日で「七草」を迎え、慌ただしい中、年末年始を過ごした。
昨年は本当に多くの出来事があった……
国中の誰もが、あの東日本の震災を忘れずはいられない、そんな一年……

昨年の後半になってようやく私も被災地を訪れる幾度かの機会に恵まれた。
「恵まれた」という表現は決して相応しくないが、私のこれからの人生にとってあまりにも衝撃的な出来事であったが、いろいろな事を「知って」「感じて」「考えて」そして「学ぶ」意味で、やはり「恵まれた」という表現が適している気がする。私が訪れた福島県、青森県はもちろんのこと、岩手県沿岸の大船渡市、宮古市、そして釜石市はとても悲惨であった……。

昨年の12月25日夜、出先から帰って来ると、自宅に宅急便が届いていた。
それは、岩手県釜石市の洋菓子店「KAMEYAMA(有限会社:かめやま)」のご主人からのものであった。
同封されているお手紙を拝見する……
「いつもお忙しい先生、せめてお嬢さん達には楽しいクリスマスでありますように…」
私が亀山さん(ご主人)とお会いした際「普段仕事柄、家を空けることが多いので、なかなか娘達と…」そんな言葉を残したそのご配慮であった。
実はクリスマスには、娘達と福島県のラジオミュージックソンのリヤカーサンタというボランティアに参加をさせて頂いており、この3年間のクリスマスだけは娘達と冬の福島を一緒に歩きながら過ごしている。時には「第九」の仕事が終わった後、仙台から福島で娘達と合流しての参加…そんな状況もあったが、クリスマスだけは全ての仕事を断っても参加したい行事である。しかし、この楽しい有意義なクリスマスも40km近い距離を寒空の白河から郡山までを歩いての募金活動の後だけに、25日に家に戻った時には、娘達も私も、さすがに疲れ果てていた……
そんな時の、亀山さんからのこのプレゼントだった。

娘達は大騒ぎで、送られてきた箱を開ける……
「わぁ〜〜っ!!」という歓声に家中が包まれる。そしてその小さい箱の中には、本当に「たくさんのクリスマス」が詰まっていた(写真)。
家族や娘達の喜びの笑顔と反対に、私は涙した……

11月に岩手の大船渡にある亀山さんの、津波で全壊し基礎だけ残された悲惨な「お店の跡地」を見てきた。そしてそんな中、残された釜石のお店で懸命に、そして前向きに明るくケーキ作りをしているご主人にお会いしてきた。釜石のお店がまだ復旧する前に「こんな時だからこそ、何としても子供達に笑顔を!」と、震災で冷蔵庫も使えない為、それならと、バタークリームでアンパンマンのケーキを作り子供達に届けたご主人の思いやりも伺った。そんなご主人が、まだまだお店が大変な中、また何といっても一年中で一番お忙しいクリスマスの準備の中、埼玉の私の二人の娘達にまで気を配ってくださり、幸せと喜びがたくさん詰まった宝箱を送ってくださったことを何と表現してよいのか……とにかく、有難さと感動を覚えた…。
11月、岩手から戻った際、家族に向けて亀山洋菓子店の様子を話し、「……だからパパはこれから亀山さんを応援したいから、これからは誕生日も、そしてクリスマスも、できればバレンタインも、亀山さんからケーキをとろうね。」そんな話をしたばかりであったが、私のその想いを先に越えて、被災地の被災者のご主人が私達に想いをくださった…。

「収束宣言」という妙なものを国はマスコミ等を通じて発表した。
岩手県をはじめとする沿岸部の瓦礫処理も進んでいないまま、福島をはじめとする原発の問題も未だ解決されていないまま、全く納得がいかない。我が家では、ラジオ福島の大和田アナウンサーを見習い、今年の年賀状を「謹賀新年」ではなく、『復興元年』とさせていただいた。
私達は決して今の現状を忘れることなく、今後、被災地で苦しむ方々を、そして被災地で頑張る方々を末長く応援していくことをお誓い申し上げたい。
今年こそは、きっと良い一年でありますように……。

洋菓子店「KAMEYAMA」/〒026-0034岩手県釜石市中妻町2-13-8 電話0193-23-5719 Fax.0193-23-5171
「大人の味のブランデーケーキがお勧め!!」


Twitterまとめ投稿 2011/12/21 [雑記]

  • maestro1961maestro1961震災後、私の「第二の故郷」であり、これまでも本当にたくさんの仕事をいただいた「福島県」に何もできなかった自分自身の償いの意味で、明日から25日まで、徒歩と自転車で募金活動をしながら埼玉から福島県(郡山)を目指す。 少しでも、福島に元気な気持ちを持っていきたい!12/20 23:46

復旧の中で…… [雑記]


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今日で、あの震災から9ヶ月……
各被災地では、あの恐怖の時間に黙祷のサイレンが鳴り、そして日本中の誰もが、あの時の恐怖と悲しみを新たにした。
前回のブログでも記したが、私は11月は3度ほど、合唱指導や演奏会で岩手県を訪れた。
帰って来て早々に、このブログでもその様子を書こうと思っていたが、その光景と悲惨な現状に心の整理がつかず、今日までなかなか書くことができなかった……

私が合唱指導で訪れた「宮古市」「釜石市」「大船渡市」は未だに復旧はおろか、手付かずの場所も決して珍しくなかった。北上の演奏会事務局の方に現地の様子を伺い、そしていくつかのその場所を訪れた。
その中でも大船渡市の「越喜来(おきらい)小学校」の様子は本当に悲惨であった。
新聞や、インターネットでも紹介されたが、当時の市会議員であった平田議員が想定外の津波を予想し、予算削減などで周囲の反対を押し切りながらも子供達の為に「非常通路」造ったお陰で、この小学校の児童は全て助かったそうだが、それでも校舎は全壊し、まさにそこは廃墟と化していた。
あまりにも惨すぎる光景に、ただただ涙が出た……

私が指導した高校のそのほとんどが被災しており、多くの生徒も教職員も、家を失い、そして肉親を失い、私の想像を絶する大きな被害と心の傷を負っていた。その中でも、(陸前)高田高校(現在は旧大船渡農業高校を間借りしている)は、校舎が全壊し、生徒達は逃げた高台の上でその悲惨な光景を見守り、そして、たまたまその日が学校が休みだった為、自宅にいた生徒達は家が流され行き場がなく「高台に行けば、皆と会える…」それだけを頼りに何時間もかけて歩いてきたものの、そこまでの道のりは、あちらこちらに亡くなった方のご遺体や、多くのうめき声の中………それはまさに地獄図の中を歩き、そしてようやく皆の元に辿り着いたという話を伺った……

そんな中、それでも、多くの頑張っている方にも出会えた。
自分自身苦しい中、それでも、懸命に周りの被災者の方を励ますケーキ職人蕎麦屋の店主、飲み屋の小母さん、そして、生徒達を指導する先生…
私にこれから何ができるか分からないが、それでも末長く、応援していきたいと思う。そして何より、この状況を、また頑張っている人達を多くの方に知らせたいと思う。
末長く応援すること、そして何よりいつまでも忘れないこと…この事こそが、私の出来る最大の支援かと思う。

今後も、このブログを通じても紹介していきたい……
写真は、釜石市内のホテル。2階部分に事務机を置いて仮のロビーにしており、3階より上で営業を再開していた。復旧作業が行われている様子。その他の宮古、釜石、大船渡の様子はあまりにも悲惨すぎて、写真を撮ることも忘れてしまうほどだった…)


ありがとう [音楽]


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「ありがとう」って伝えたくて〜
そう歌って私をホール出口まで見送ってくれた彼女達、彼等達を……私は、今日の日と共に一生忘れないであろう。

私に流れている半分の東北血(父は福島県出身)が、あの震災後の東北を心配すると私の精神をコントロールできなくさせる。
これまで、いくつかのボランティアや募金に参加していたものの、震災後は、車もなく(私は免許がない)自力で行くこともできず、また、最近は全くどうにも時間がとれず、何もできない情けない自分に、どうにもやり切れない自分に、毎日苦悩していた。
そんな中、訪れた今回からの2度にわたる合唱指導のチャンス
今日は岩手県、不来方高校と宮古高校。

しかしなぜまた、このプログラムか……と思う。
モーツァルト/ラクリモーサ」「フィンランディア」そして「千の風になって」

今まで、私のできる限りの東北へのお手伝いはしてきたものの、人以上に東北の心配をしてきたものの、それでも「対岸」での……
そんな私が、被災地の彼女、彼等達に何を訴えればよいのか…何を伝えればよいのか……
いつもより、多くの時間をさいてその準備をしてきたが、その合間に、このことを考えれば考えるほど、辛く、悲しく、今日はこれまでの最も辛い仕事となった。
昨晩は1時半過ぎにホテルのベットに入ったものの、3時過ぎには目が覚めてしまい、それから一睡もすることができなかった……

緊張の中、ホールに入る。身体が震える……
しかし、そこには私の想像を全く覆す、本当に、本当に素敵な顔が待っていた。

どの生徒達も本当に素晴らしいかった。
不来方高校の生徒達の全国級の歌声に加え、彼女達の人間性には、本当に驚いた。
こんな素敵な高校生がいるのかと感動するとともに、日頃彼女達を指導している先生には、只々敬服した。
午後指導した、宮古高校の生徒達も、これまた素晴らしかった。
海にほど近い被災地宮古市に住む彼女達、この困難を乗り越えようと明るく生きる彼女達に、真剣に音楽と向き合う彼女達に……思わず涙腺がゆるんだ。
彼女、彼等達に訴えよう伝えようとしていた私であったが、それは全くの思い上がりであり、むしろ彼女達から多くを教わったのは……私であった。
そして今更ながら「音楽」の素晴らしさを、高校生達に教えていただいた。

私は、今日の日を一生忘れることがないであろう……。「音楽」の素晴らしさとともに………。

不来方の、そして宮古の皆様、
本当に、本当に、『ありがとう』

長生き [雑記]


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私の父の両親(私の祖父母)は、父が子供の時に亡くなったという。
「両親の思い出はほとんどない…」と父は呟く……。
父が40歳を過ぎたころから「俺は自分の親父より、もう長く生きたから、いつ死んでもおかしくない」
そんな言葉を私はいつも父から聞いていた。
あれから年月がたち、父は親父の(祖父の)倍以上生きてくれている。
私の長女が生まれた時も「この孫が歩けるまで、生きていられるか…」と言っていたが、今は時折、その孫に手を引かれている。
今度の目標は、孫の結婚式まで。
どうか、いつまでも長生きしてほしい……。

通勤路 [雑記]


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私の勤務する東京藝術大学は、その住所が「台東区上野公園12-8」というだけに上野駅の近くというイメージがあるが、大学構内に入るのは実は隣駅の鶯谷の方が近いと思う。
ましてや、私の通う指揮科は(附属高校側の)大学裏門から一番近いところにあり、この門からの小径が私のいわゆる「通勤路」になっている。
ところがここのところの秋の陽気に、この小径はススキをはじめとする草花(雑草?)でいっぱいで、指揮科に到着した時はジャケットやズボンのあちらこちらに種らしきものが付着している。
ある日、自宅に帰ると、私の衣服を見ておもわず奥さんが「パパ、いったい東京のどこを歩けばこんなになるの?」と驚いていた。
そんな大学だが、一部マニアの間では、野草が1000種類以上もある場所としては有名で、ごく稀に、鍬を手に野草を取りに来ている老夫婦に出会うこともある。
また、ちょうどこの掲載した写真の建物の2階が指揮科の教官室であるが、窓の下には春にはフキノトウもたくさん芽吹き、いつか皆で天ぷらで食べてみようかと思っている。
近年の国立大学法人化で国からの助成もカットカットの連続で、とてもじゃないが草花の手入れをする予算など取れない今日あるが、考えようによっては、日々季節を感じることのできるこの大学は素晴らしい環境とも言えるかもしれない。(……ちょっと苦しいか…)

いずれにしても、どんなに大学勤務で忙殺されても、季節を感じる感性だけは失わないようにしたいものである。

愛読書 [雑記]


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たくさん……という訳でないが、私は時々漫画を読む。
それはだいたい、仕事で(北陸方面への長い長い)移動中の列車であったり、また、晴れて仕事も終わり、翌日は帰るだけの夜のホテルであったり……。
「……そんな時間があるのなら、勉強しろ!!」そんな声も聞こえてきそうだが、ギャンブルもしない、酒も一人では飲まない、そんな私の息抜きなのだから許してほしい。私の尊敬する指揮者のK先生の愛読書が「おれは鉄平」であることをうかがってからは、なおさら最近は堂々と漫画のことを人に話せる様になった。しかし、私も漫画なら何でもよいというわけでなく、愛読書と呼べる本は数える程度で、以前この雑記帳で紹介した「酒のほそ道」「美味しんぼ」「味いちもんんめ」「こちら亀有公園前派出所」「課長(今は社長)島耕作」そして名作「夏子の酒」……ほんの数冊(?)である。(時々という割に、結構読んでいる……)

先日、仕事先のコンビニでビールでも買おうと物色していた際、この「キャプテン」を見つけた。子供の頃、週刊誌でこの作品(あえて『作品』と呼ぶ)に出会って以来、何十年かぶりの再会である。

この作者である「ちばあきお(漫画家ちばてつやは、実兄)」は悲しいことに、今はいない。いわば、遺作となっているこの作品であるが、何てことないほのぼのとしたこの画のタッチに、子供時代も、そして大人になった今でも大いに魅力を感じる。中学生の野球部の漫画……身体も環境も恵まれない中、「努力する」という才能のみを武器に頑張る少年達。他の野球漫画とは違い、魔球や非現実的なスイング等は一切ない、素朴ながら、固唾を呑んで読み進めるそのストーリーは正に『本物』である。生前は「自分に人の作品をどうこういう資格はない」と一切の漫画賞の審査を断り、自分の世界を描き出しすことに全力で取り組んだ作者であったが、その真面目さと謙虚さが精神障害をもたらせたのだろうか…41歳という若さで自殺をはかり逝去してしまう。
それでも、彼の努力と才能、漫画にかける情熱は脈々と、主人公の谷口くん、丸井くん、五十嵐くんに込められ、彼らが今のこの時代に、私達に、この情熱を傾けたちばあきおの作品を通じて、大切な大切な何かを伝えてくれる。
とにかく『凄い!!』としか言いようがない、そんな作品である。

9月30日に、続き(第5巻)が出たらしい……。
呑気に雑記帳を書いていないで、まずはしっかり自分の勉強をして……そしてコンビニに買いに行くとするか……。

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